信じる者は救われる~旧約聖書~
今回は、「ノアの箱舟(旧約聖書)」のお話となります。
「ノア」というのは、前のブログで記事にしましたアダムとイヴの10代目にあたる子孫になります。
神と共に歩んだ正しい人、「ノア」
ノアの時代になると、地上には人々が増えて神が嘆くほど悪意が満ちていました。
(ノアの時代といっても当時ノアは500~600歳だと言われています、、、)
この人々の状況に神は嘆き、地上のもの全てを洪水で滅ぼすことを決めますが、神に従順なノアだけには助かる方法を授けます。
その方法は箱舟を造り、自分の家族と動物のつがい(オスとメス)を連れてその箱舟に避難することでした。
そしてこの大洪水は40日間続き、地上に住む生物は滅びました。
150日ほど水が引くのを待ち、箱舟から出たあとノアは祭壇を設け生贄を捧げ、これを認めた神は二度とこのようなことをしないことを約束し、証として空に虹をかけました。
ちなみに、箱舟の中から水が引いたことを確認するために何度か「鳩」を放ったのですが、水が引いたことを知らせるしるしとしてオリーブの葉を咥えて帰ってきたことがあります。
ここから鳩が平和のシンボルとして扱われています。
旧約聖書の記述通りでいくと、
洪水後、人類がノア一族のみになり子供たちがそれぞれ子孫を広げていくわけですが、こちらからさかのぼって見れば人類共通の先祖はノアであるということになります。
追加のお話となりますが、ノアには3人の息子たちがいました。
それぞれハム・セム・ヤペテといいますがこの3人にまつわる逸話として、ある時ノアがワインを飲んで裸で泥酔していました。それを見たハムは兄弟たちを呼びますが、残りの2人はノアの姿を見ようとせずそっと着物を掛けてあげました。
これを「見るなのタブー」といい、ノアの姿を見たハムは子孫代々呪われることになります。
この「見るなのタブー」はいろいろな神話や逸話で登場し、日本神話では夫イザナギが黄泉の国に妻イザナミを探しに行った時に妻から自分の姿を見ないようにと言われたり、
ギリシャ神話では「パンドラの箱」という神話でこの箱を開けてはならぬと言われるも開けてしまい災厄が世に広まるといったお話があります。
こちらのお話も他の記事にありますので、よろしければご覧ください。
おわりに
神に常に従い、言われた通りに行動する。その結果として報われたというお話ですが、自分のメリット・デメリットを考えず実直に何かを信じるという行為は、現代でも非常に尊い行為だと思わせられるお話でした。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
たくさんの言語が生まれた理由~旧約聖書~
「バベルの塔」という言葉を聞いたことがありますでしょうか。
このお話は、他の記事で書いた旧約聖書の「ノアの箱舟」に出てくるノアの子孫のお話となります。
みんなで協力して建てようとした塔
ノアの時代の大洪水のあと、ノアの子孫たちが増えていきますが、人々は一つの言語でコミュニケーションを取っていました。
みんなで協力して生活を向上させ、街を作り、やがて天まで届く塔を作り始めました。これを見た神様は主である神に挑戦すること、神と等しくなろうとすることに嘆き、なぜこのようなことをするのか考えました。
その答えを「人々が一つの言語で話し合えるから協力でき、天まで届くような塔を建てる技術が生まれてしまうのだ」と考えた神様は、お互いに言葉が通じないように様々な言語に分けました。
コミュニケーションが取れなくなった人々は大混乱に陥りました。そしてうまく協力できなくなったために塔の建設も諦め、人々は世界各地に散って行き、新しい生活をしていくことになりました。
これがたくさんの言語が生まれた理由になり、この世界各地に散って行った人々が私たちに近い先祖ということになりそうですね。
また、この塔を建てようとした土地はバビロンと呼ばれており、それをヘブライ語のバーラル(混乱、ごちゃまぜという意味)に似せて、「バベル」と呼ばれるようになりました。
追加のお話となりますが、タロットにもこの「バベルの塔」とされるカードが出てきます。このカードは「ⅩⅣ(14)の塔」で大アルカナに属する1枚。
この塔をバベルの塔とするかは諸説ありますが、図柄は「塔から落ちる人間」となっていて、人間の驕りに対する天罰という意味を持ち、タロットの中でも1番悪いカードとされています。
おわりに
このお話にちなんで、現在では空想的で実現不可能な計画を「バベルの塔」と比喩的に使います。
また、このお話は上のタロットカードの話でもありましたが、人々の傲慢・過信を説いたものだとも言われています。
「身の丈に合った生き方」と「新しいことに挑戦する生き方」、
どんな時代・国々でも社会は後者が過剰になる時がありますが、
現代社会は特に世界共通言語になりつつある英語やSNSの発展などがめざましい発展をしています。
これらと併せるといつか世界が分断されるようなことがまた起こるのでしょうか。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
りんごから始まる人間の歴史~旧約聖書~
ここで登場するのは、
「アダム」と「イヴ」、そして「ヘビ」です。
あまりにも有名なお話しですので一度は聞いたことのある方もいると思いますが、これは「旧約聖書」のお話となります。
ヘビには手足があった⁈
神様ヤハウェは天地創造の6日目に人間を創ります。
この最初の人間とされるのが「アダム」です。
アダムは男性で、神様が「男が一人でいるのは良くないので、彼に似合う女を創ろう」と思い立ち、アダムの肋骨からイヴが創り、「エデンの園」での2人の生活が始まります。
2人は木の実を食べて生活をしていましたが、善悪の知識の実だけは食べることを神から禁じられていました。これが禁断の果実です。
ある時、ヘビがイヴに近づきこの善悪の知識の実を食べることを勧めます。
イヴが最初にこの実を食べ、アダムも続けて食べるとお互いに善悪の知識を得て、裸であることを恥ずかしく思うようになり、イチジクの葉で体を隠すようになりました。
神がこれを問い正すと禁じていた善悪の知識の実を食べたことを白状し、
神はアダムとイヴ、そしてヘビに罪を与えました。
アダムには労働しなければ食料を得られないことを、
イブには妊娠・出産時の苦しみを、
ヘビは手足を取られ腹ばいで生きていくことを。
そしてアダムとイヴは住んでいた楽園から追放され、今に繋がる人間の歴史が始まります。
善悪の知識の実はりんごじゃなかった⁈
タイトルを裏切ってしまいますが(笑)、「旧約聖書」には善悪の知識の実がりんごであると書かれてはいません。
おそらく後世の画家などがりんごをモチーフにして書いたものが象徴的に捉えられて人々に根付いていったものだと思います。
追加のお話として、エデンの園には、善悪の知識の実をつけた木のほかに、「命の木」というものも植えられていました。この命の木からなる実を食べると神に等しい永遠の命を得られるとされ、それを望まぬ神様が善悪の知識をつけたアダムとイヴをエデンの園から追放したとされています。
おわりに
現代社会は男女平等が唱えられ、女性が社会進出しています。
社会に望まれてそのような環境になったのだと思いますが、
旧約聖書の観点から見ると、男性は変わらず労働のみで、女性は妊娠・出産時の苦しみに加えて労働が増えました。
旧約聖書的には女性の方が罪が多くなり、ある意味不平等な感じもしなくもないですね。
アダムとイヴの子孫に「ノア」という人物がいますが、この「ノア」についても有名なストーリーがありますので、もしよろしければそちらの記事もご覧いただければと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
週7日制になったのはどうして?~旧約聖書~
私たちが普段よく目にしているカレンダーで1週間は7日間とされていますが、なぜこの日数になったのでしょうか?そしてこれにはどういったルーツがあるのでしょうか?
今回は「旧約聖書」からのお話となります。
そして上の答えは、
神様が天地を創造した時のスケジュールが7日間だったためです。
神様の7日間
1日目
まず天と地を創る。そして光を照らし、昼と夜を創る。
2日目
大空を創り、これを天とする。
3日目
地を海と大地に分け、草木を創る。
4日目
太陽と月と星を創る。
5日目
魚と鳥を創る。
6日目
地に根付く動物(獣と家畜)を創り、神様に似せた人を創る。
7日目
必要なもの全てを創り終え、仕事から離れた日(安息日)となる。
神様の7日間のスケジュールはざっくりとこんな感じですが、
6日目に人間が創られ、これがアダムとイヴに繋がっていきます。
そして、この7日目の安息日は金曜の日没から土曜の日没までとなっています。
安息日はアブラハムの宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)によって定義が少し異なり、
ユダヤ教はこの「旧約聖書」が唯一の聖典となりますので上記のとおりとなり、
キリスト教ではキリストが復活した日曜日とされ、
イスラム教ではムハンマドがメッカを脱出した金曜日となっています。
そもそも厳密に「安息日」とは、旧約聖書を唯一の聖典としているユダヤ教のみの言葉となるため、他で使われている「安息日」とは休日のことを指します。
現代日本は日曜日が休日扱いですが、日本は西暦制度(キリストが生まれた年を元年として数える)を採っているので、休日がこのキリスト教の日曜と同じになっています。
おわりに
日本神話にも神様が日本列島を創ったお話しがありますが、
旧約聖書の神様は地球上のもの全てに加え、太陽や月など宇宙のことも含まれていて規模感がまるで違います。
旧約聖書の方が時代的に早く書かれていますが、この頃からすでに宇宙というものを認識して書いていたことを拡大解釈すれば、旧約聖書圏内の人々と日本人の思考する尺度に違いがあることが分かります。
グローバル社会となった現代でも「ハードを創る諸外国」と「ソフト改善の日本」といったイメージがありますが、昔から根本的な思考方法は変わっていないようにも感じられます。
「旧約聖書」での人類の歴史が始まったお話については、下の記事でも書いていますのでよろしければご覧ください。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
わがまま末っ子から大人への第一歩~日本神話~
前回の記事で、「スサノオ」が姉アマテラスの住む高天原から追放されたお話でしたが、その後、スサノオはどうなっていったのか、今回はそのお話となります。
出会い
破天荒でいたずら好きが原因で姉のアマテラスを悲しませ、高天原を追放されたスサノオは、出雲国(現:島根県)に降り立ちます。
すると川の上流に泣いている老夫婦と美しい娘がいました。
老夫婦は、毎年自分の娘を8つの頭と8つの尾を持つ怪物「ヤマタノオロチ」に食べられてしまい、今年はこの末娘の「櫛名田比売(くしなだひめ)」が食べられてしまうと泣いて話します。
スサノオはこの娘との結婚を条件にヤマタノオロチ退治を申し出て、スサノオの素性を知らない老夫婦はアマテラスの弟であることを知ると喜んで承諾します。
三種の神器出揃う
まずスサノオは神通力で「くしなだひめ」を櫛(湯津爪櫛)に変え自分の頭に挿し、老夫婦には8つの酒桶の中に強い酒を用意させます。
しばらく待つと「ヤマタノオロチ」がやってきて8つの頭が罠とも知らず酒を飲み始めます。
酒に酔い眠ってしまった「ヤマタノオロチ」にスサノオは、持っていた「十束剣(とつかのつるぎ)」で斬り刻みます。
これで退治は終わりますが、最後に尾を斬ると硬いものに当たり十束剣が欠けてしまいました。そしてこの尾から出てきたものが「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」となり、スサノオはこの剣をアマテラスに献上しのちに「三種の神器」の1つとして崇められることになります。
日本初尽くし
退治を終え、「くしなだひめ」を嫁に迎えたスサノオは住む場所を「須賀(現:島根県雲南市)」の地に決め日本初の宮殿を建て、現在「須我神社」となっています。
ちなみにこの「須賀」という地名は、一仕事終え嫁も出来て「すがすがしい気分」になったことから命名された地名と言われています。
また、この宮殿に住むことになった時にスサノオは歌を詠みます。
「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」
この歌は日本初の和歌とされ、また「八雲」という言葉は出雲で象徴的な言葉とされています。
おわりに
「ヤマタノオロチ」を退治する時に「くしなだひめ」を櫛に変え、自分の頭に挿したスサノオですが、老夫婦と娘を安全な場所に隠せばよいものをなぜそうしたのでしょうか。
女性は古代から生命力の源と考えられ、また櫛は呪力を持つとされてきました。このことからスサノオは頭に挿すことによって女性という生命力を得て、櫛の呪力でヤマタノオロチを退治しようと考えたと言われています。
スサノオ夫婦の間にも有名な子孫がいますが、そのお話はまた次の機会に、、、
ここまでお読みいただきありがとうございました。
似た者姉弟~日本神話~
前回、「日本の誕生」についてお話をしましたが、今回はその話のあとに生まれた神様のお話となります。
「三貴子(さんきし)」
「イザナミ」と国産みをした夫「イザナギ」は黄泉の国から帰り、その後、穢(けが)れを落とす禊(みそぎ)を行った時にさまざまな神が生まれました。
その中で最後の3人の神が特に貴いとされ「三貴子」もしくは「三貴神」と呼ばれます。
その3人とは、
「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」・・・太陽神である女神
「月読命(ツクヨミノミコト)」・・・夜を統治する神
「須佐之男命(スサノオノミコト)」・・・海原を統治する男神
となり、イザナギはこの「三貴子」の神々に世界を統治するように命じます。
甘えん坊な末っ子
イザナギから海原を統治するよう命じられた「スサノオ」ですが、スサノオはそれを断りイザナミのいる所に行きたいと泣き叫び、天地に甚大な被害がでました。
父であるイザナギはこれに怒りスサノオを追放します。
スサノオは出ていく前に姉であるアマテラスに別れの挨拶をしに行くと、アマテラスはスサノオが攻めてきたと思い立ち向かう準備をします。
スサノオにその気はなく、疑いを晴らすために「うけひ(誓約)」を交わします。
この誓約で疑いの晴れたスサノオは姉の住む「高天原」に居つくようになりますが、しばらく経つとスサノオはここでたくさんのいたずらをし他の神々を困らせます。
かまってちゃん姉弟
アマテラスも最初はスサノオをかばっていましたが、ある時、神にささげる衣を織っていたところにスサノオが馬を投げ入れ、そこにいた女性が死んでしまいます。
これに悲嘆したアマテラスは、「天岩戸(あまのいわと)」に閉じこもってしまいます。アマテラスは太陽神でもあるため、岩戸の中に閉じこもったことにより「闇」がおとずれ世にさまざまな「禍(まが)」が発生してしまいます。
これを解決するために「八百万(やおろず)の神々」が集結し、アマテラスを外に出そうと相談し合います。まず、他の神に鏡「八咫鏡(やたのかがみ)」・玉「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」を作らせました。
この鏡と玉は三種の神器の2つとなっています。
そして作戦決行となると祭りが始まったかのように神々は一斉に騒ぎ、笑い出します。
この騒ぎが気になったアマテラスは外の様子を見ようと「天岩戸」から顔を出します。
アマテラスは、
「自分が岩戸に閉じこもって闇がおおっているのに、なぜ神々は楽しそうに踊り、笑っているのか」とそこにいた神に問うと、
「貴方様より貴い神が現れたのでみんな喜んでいるのです」と答え、アマテラス自身に鏡をあてました。
自分の姿しか鏡に写っていなかったので、もっとよく鏡を覗き込むために岩戸から身を乗り出したところを神に手を取られ引きずり出されました。
そして光が照らされ闇が消えていきました。
おわりに
八百万の神々はスサノオの処分について話し合い、スサノオのひげと爪を切り、高天原から追放しこの件は幕を閉じました。姉弟のかまってちゃんぶりに巻き込まれる神々や世界も大変なものです...
スサノオのストーリーについては次回ご紹介できればと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。